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驟雨

インセイン遊ばせてもらった

更新日:2020年11月8日


 いや、オンセだったのでダイスの出番はなかったんですがね。


 昔わたしがCoCを(半ば強引に)勧めて体験卓など回した旧友は今、すっかり卓ゲの住民となって大量のるるぶにまみれ、今度はわたしがイエサブに連れ回されたり別システムで体験卓のお世話になっているという。趣味の相互作用って面白いな。


 さて、というわけで、SCPやりたくてるるぶ買って読んだきり、1年以上機を逃していたインセインの体験卓を回してもらいました。

 まず先に、卓ゲ全般に言えるけど、PLひとりってだいぶ楽しみ方が限られるよな…無理言ってごめんよクロさん。やりにくかったろう。とりあえずゲーム進行を体験させてもらおうという低い志。

 回してもらったのは公式シナリオ集「ディオダディ荘の怪奇談義」収録の『冬の朝』。布団つむり。初の卓ゲ経験がCoCな自分にとって、説明読んでもリプレイ読んでもどうも感覚が掴めなかったのが、サイフィクおなじみのフェイズ、シーン、そしてHO制。やってみてもやはり最初は勘が掴めず、これで……合ってる……???となりながらも、雰囲気はぼんやりわかった。なお、オチは女神の無慈悲な裁定により一撃でバッドエンド直行※。いやー、PCの命、儚いな…笑

※これ自体はほんとダイス運なのでシナリオやGMがどうこうではない、念のため。


 で、実際にやってみて思ったのが(おそらく誰もが感じることなんだろうけど)サイフィクの仕組みはより「ゲーム的」だなと。

 いわゆる使命やHO制は最近CoCの同人シナリオでもよく見かけるなーとは思っていたのだけど、ざっと見る限りPCに関わる部分だけこの仕組みを取り入れてるように見受けられる。サイフィクが基本、主要情報はすべてハンドアウトで管理されてるってのはこういうことか、と大変今更ながら体感した。やっぱり外から見るのとは違うねえ。


 で、クトゥルフ神話TRPGのあの「遊ぶ人間に多くをゆだねる」スタイルにすっかり慣れてしまった自分には「探すべき対象候補も、自分(PC)の行動動機も、自分の頭で考えるまでもなくお膳立てされてる…だと…?」というのが一番インパクトがあった。大変失礼な言い方になるけど「えっ、これ、何を楽しんだらいいの…?」となってしまった一方で、拙宅の『つまさき奇談』をコンベンションで回して下さった方の感想に「何に着目すべきなのか、どう行動すべきなのか、すべて手探りだった」というものがあったことが今更腑に落ちた。はー、なるほど。こっちのシステムをよく遊ぶ人にとっては、PCの達成すべき使命・行動方針とはシステム上設定されているもので、情報収集とは、伏せられたカードの背にすでに対象名が明示されていて、その中から選んで進めていくものだったのだ。

 CoC出身の自分は、PCの行動動機とは外部から明確に指定されるものではなく、PC自身が持つもの(脱出したいとか友人の死の真相を探りたいとか、シナリオ導入で"暗示"される行動目標はあるけど)、探索とは、状況や環境を鑑みて自分のPCが思いつく行動や気になる対象へのアプローチを宣言し、GMから具体的な対象候補や必要技能のフィードバックを受けるもの…という認識がすっかり染み付いていた。GMの方から探索対象や使える技能を開示されるとむしろ、「察しが悪くてすまねえ…気づけなくてすまねえ…」と恥じ入るくらいで、適切な狙いをつけて自ら探索を行えるのが良いプレイヤーだ、と無意識に信じていたように思う。あるいは、シナリオで言及されないアプローチであっても、「この状況でそういったアプローチをすることは有効である」とGMが認め、対応できる限りそれは普通の手段であり、好ましいプレイである※という認識もあった。

 ※たとえば、PC/PLは自分の行動範囲の地図を入手したい。しかし、技能に失敗してしまったり、入手するタイミングを過ぎていたり、もともと入手する手段がシナリオ的には提示されていなかった。そんな場面でPLが「見晴らしのいい高いところに登って、見渡したり写真を撮ったりして目印や距離感をつかめないか?」と提案するのは面白いプレイングである、とわたしは思っている。そこでKPがたとえば「【ナビゲート】と【アイデア】の組み合わせに成功すれば脳内マップを作れたことにしよう」とか、「【製作】か【芸術】の絵画系か【写真術】で、地図を自分で描けることにしてもいいよ」とやるのも、「ただし【登攀】に成功しないと見晴らしのよい場所には登れないよ」「多少の時間を消費するよ」とやるのも、KPの醍醐味である…という感覚のことだ。もちろん限度はあるが。


 気になって調べてみた場所が空振り、とか、聞き込みしたけど有益な手掛かりがなかった、とか、CoCのみならずリアルな調べ物作業でも往々にして発生するそういう事象は、このシステムでは起きない。あるのは「空振りさせるために混入してある対象候補」を運悪く引くことだけ。

 喩えが下手なのを承知のうえでいうと、CoCは"山の中にぼんやりと見え隠れする獣道を追跡し、道を見失ったら自らナタを振るって道を作りながら進んでいく"遊びであり、インセインは"プレートのかかった扉をいくつも開けながら迷路を進んでいく"遊びのようだ。わたしはこの、細い獣道を自分で探しておっかなびっくり進んでいくシステムを最初に紹介してもらい、そのシステムの「アプローチが遊ぶ者にゆだねられる面白さ」を大変魅力的に感じていたため、最初から通路が準備され、扉にはプレートがかかっていてどの扉に入るかを明確に選ばせる仕組みにかなり面食らってしまった。ダイスとシナリオのあるホラーTRPGのシステム二つを比べるだけでもこんなに体感が違うとは。


……というわけで、GMクロさんにえらくグレーな煮え切らない感想を伝えてしまったのだけど(マジごめん)、このシステムのいいところはね~、といくつか挙げてもらったものについては、はー、なるほどね!(二度目)となった。


・HO制でよりムダなく、ぐだらずに遊べる


 自分は思いっきり探索&推理偏向タイプで、情報が出る場所を探し回り、うっすらとした手がかりを追い回している瞬間が大変楽しい。こう、国会図書館なんかの膨大な書籍のデータベースから、キーワードを考えて組み合わせて検索するのに似ている。狙っているものに近づけそうな年代、人名、場所、学問分野やらにアタリをつけてさらに検索する。途中でちょっと面白そうな情報に浮気したり、全然関係ないものをつかんだりしながら何時間もカチカチカチカチやって目当ての情報にたどり着き、それが他で集めていた情報と噛み合ったりしようもんなら「おれは今!真実の尻尾にちょっと触ったぞ!!」という興奮でもって鼻息荒く画面のコピー申請など出しに走るわけだ。

 こういう愉しみ方をする人間は、プレイ中に探索・交渉が難航したり、明後日の方向を探すといったミスをやらかしたときに感じるストレスにそこそこ耐性があると思う。もちろん、的確なアプローチや冴えた交渉ロールを決めて情報をスマートに得ることができれば、最高に気持ちがいい。が、それを抜きにしても「情報を得るための行動そのもの」が「遊んでいる」うちに入るからだ。何なら、手に入れるのに難航したという経緯が、すんなり手に入った場合よりも達成感を与えてくれるくらいだ。

 が、プレイヤーがみんなそういったタイプなわけはない。ここだと思ったポイントから情報が出てこない徒労感、頑として口を割ってくれないNPCへの苛立ち、無為に流れていくプレイ時間への焦り。それを相殺してくれるほど「探すこと」に興味や情熱を持っていないプレイヤーにとって、CoCのシステムはあいまいで無駄が多く、面白さより面倒臭さが勝つことがある。

 "有益な情報が得られるかどうかなんて、実際探してみるまでわかるはずがない"――という現実的な手間をゲームでまで味わいたくないという人にしてみれば、行き止まりになるHOをつかむ可能性はあるにせよ、少なくとも最初からシステム的に準備された選択肢を選ぶだけでよい=探索にかけるコストをかなり抑えることができるこの仕組みはありがたいものだろう。その分の時間と脳みそを、RPなど他の楽しみに使うことができる。

(ものすごくどうでもいいことだが、わたしにとって、温州みかんの皮を剥くという作業は、みかんを食べるときの愉しみのひとつである。誰かと話しながらちまちま手を動かし、食べてはまた次を取って剥くのが好きだ。しかし、ただみかんを食べたい人からすれば、皮なんぞないに越したことはない。ところがわたしも文旦やグレープフルーツを食べるときは「誰か剥いて」と思ってしまう。何ともわがままな話だ)



・シーン制で全プレイヤーが平等に遊べる


 これは、PL側はもちろん、GM側にとっても永遠の課題だと思う。ゲームシステム的に探索の自由度が高く自主性に委ねられていればいるほど、PLの自主性や熟練度、PCの動機や属性が真相に近づきやすいか否か、シナリオ作者やGMとの相性といった事情で、プレイ時間や活躍度にかなり差がついてしまう。推理がうまくいかなかったり、探索の動機が薄かったり、積極的に行動するのが苦手なPL/PCはどうしても「脇役」になってしまう。この傾向はCoCリプレイ作品でもよく見られる。ある人物が「主役」の働きをし、相対的に他が「脇役」の位置に退いてしまい、待ち時間が長くなってしまったり、PLの間で不公平感が生まれたり…かといって、完全にバランスよく全員が主役になれるような進行を求めるのは難しいだろう。行動の自由度の高さと不公平さは表裏一体だ。

 サイフィク系のシステムは、ひとりずつ必ず手番が回ってくるというシーン制の公平さに加え、HO制によって「全然見当違いの場所にいく」などの"無駄"な行動を抑制してくれる。また、システム的に「使命」を与えられている以上、動機が薄すぎて行動を起こす理由がない、という事態には陥りにくい。(その代わり、GMとPLが自分たちの知恵と発想に沿って柔軟に物語を進行するというわけにはゆかない)。

 特に、初対面同士やそこそこのPL数相手のGMとなると「全員を平等に楽しませる」ことがいかに難しいかを痛感する(最近ソロが続いたので忘れがちだった……)。その視点からみれば、システム自体が「機会の平等」を考慮してくれていることで、GMの負荷も相当軽減されるわけだ。なーるほーどなー。



 とまあ、やってみた結果として「面白かったか?」と訊かれるとまだ何とも言えない感覚ではあるものの、面白くできるだろう方法、仕組み上の長所、あるいは面白がってくれるだろうプレイヤーの傾向なんかの目星を自分なりにつけることはできたように思う。といっても、そもそも複数PLでやってもいないので、とりあえずリプレイをもう一度読み直して、感覚をアップデートするところからだけど。


重ね重ね、クロさんありがとう。大変興味深く、また勉強になりました。



 

追記

あれから何度かやって、特に特殊型シナリオを回したり、対立型シナリオをプレイして以降は大変面白く感じるようになってきました。時間がない卓修羅中でも、数時間で終わるものが多いので息抜きにもよい。


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