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驟雨

卓人間は苦痛に楽しみを見るか?

 人間の味覚のうち「苦」「辛」あたりは実は味覚ではなく痛覚らしいという話を思い出し、怖がりなのにホラーを愉しむのもヒリヒリ感を求めてリスキーなものに挑むのも好きで、いやー自分ドMだな……と思ってたんですが、ここのところ、高難度・PvPがあるかもと言われるシナリオをいくつか遊ばせてもらって、マゾの好みって結構うるさいな!と思い知ったという話です。


 特定のシナリオの話というよりは、自分が遊ばせてもらったり読んだり見聞きしてきた「高難易度」シナリオの総合的な所感。たまたまタイムリーな話題になったようで……。



 

 たぶん、自分は「望まないが苦渋の決断をする展開がほぼ避けられないと定められた」世界で、「苦しむという遊び方」をするのが得意じゃない。というより、プレイするからにはPC・NPC含め一人でも多く生還して、世界のひとりでも多くが納得できるように力を尽くす、というのが、自分にとってプレイする理由の中でも相当大きい。だから、「作中世界がそもそも誰かを失意に沈めるつもりで作ってある」ものは、そうと判った時点で歓びへの期待がメタレベルで否定されてしまう。

 とはいっても他の楽しみ方(卓ゲはGMやPLと物語をリアルタイムに創ることそのものが楽しいし、苦悩したうえでカタルシスに持っていくとか、用意されている理不尽を俯瞰して噛みしめるとか)はあるので、つまらない!とかやらなきゃよかった!にはほぼならないけれども。


 考えてみると、ロストの可能性がもともと高く、かつ協力型を基本とするCoCのシステムを採用しているうえであえて「高難易度・高ロスト」「PvP可能性あり」と銘打たれるシナリオは、執筆者の意図する方向性がざっくり2種あるんじゃないかな~と。


A.参加者全員が協力して知恵を絞らなければならないもの

 適切に警戒し、的確な大胆さで行動し、情報を集めて真相を正しく読み解き、PvPになるかもしれないところを発想や対話で協力体制に持ち込んだり、展開上のギミックトラップを察して回避する必要があるが、悲劇の究極の選択などで苦しませるために書かれてはいない。全PL/PCが生還し、かつ、全員の目的が「あちらを立てればこちらが立たぬ」には陥らないエンディング(いわゆる大団円※)があって、それを目指してもらうつもりで作られている。ただ、実際にたどり着くにはセンスと幸運と努力が要る。だからこそ達成感もある、というタイプ。

 ※主にPL間ではないだけで、展開上、NPCの確定犠牲者が出たり悲惨な事件が発生したりはあるある。

 探索・交渉で主体性や発想力を求められたり、情報拾い漏れや判断ミスで容赦なくロストするシナリオがこれ。わたしが知ってるものだと公式サプリのごついキャンペーンとか、暇卓さんのシナリオ群とか。シティ探索の長編シナリオが多い。ちょっと毛色は違うけど『ネームレス・カルト』なんかもこれじゃないかなと思う。


B.PLを苦悩させる・ショックを与えることを意図した舞台や筋書のもの

 避けがたい苦渋の判断、たとえば敵対するつもりではなかったPL/PCの利害を対立させたり、自他への加害をどうしても肯定しなければならない展開を準備し、諍いや苦悩・苦痛をどうプレイするかに重点が置かれているもの。救いのないマルチバッドエンド的なものとか、「全生還は可能だが誰かが重要な何かを犠牲にする必要がある」とか、「生還・事態解決に向けたPL/PCの行動・努力が否定されるように書かれている」とか。

 究極は望まぬ殺し合いを要求されるもの。当然ながら探索で相互協力できないし立ち回りも難しいので難易度が上がり、PvPが発生したりロストする展開も多くなる。

 このテのやつは名前を上げるだけでネタバレと化すので言わないけど、遊ばせてもらった時の感覚だと、注意書きに「理不尽・ショッキングな~」「人を選ぶ~」と記載されてるものは、避けがたい苦悩が組み込まれているシナリオがかなり多いイメージ。


 Bに当てはまるものでも、絶対に大団円にいけないというわけではない。ただ、ものすごく出目がいいとか、和マンチプレイでロジックの穴を突いて全生還の路を切り開くとか、何時間もGM/PLが話し合って「これならアリかもしれない」で導く特殊な事例ではなく、"シナリオの想定通りにプレイした"場合に、PL同士の望まぬ対立や加害や犠牲で苦悩させることを想定した作品はコレだと思う。


 こうしてみると、A路線の高難易度を期待していて実際はB路線の高難易度だった、ってときに徒労感があるのは、もうどうしようもない。遊び方が真逆なので。Aにおいては「全員の努力で勝ち取るトロフィー」である大団円が、Bにおいては「手に入らない幻想」として踏み躙られるためにあるわけだ。


 もともと自分はAの方が好きで、たまにBをやるくらいであれば、痛みによって思い入れも深くなる、わかるよ……と訳知りマゾ顔をするだけで済んでるけども、Aに出会わずにBに出会い続けたら相当キツい気がする。まず、苦しむことを愉しまねばならない環境への"耐性"や"慣れ"を積極的に身に着けようとする。これをあまりやりすぎると、A路線のシナリオでも考え無しにPvPに突っ込んだり、悪事・悲惨に耽溺するクセがついて、高難易度の大団円に向けて努力する意思や力が喪われてしまうんじゃないだろうか。自分をBに合わせていくうちに「それこそがこのゲームの遊び方である」と自己暗示してしまって悲嘆や苦悩をあえて求めたり、それがなければ存在意義や歓びを見いだせなくなる可能性すらあるんじゃないかと思うと、こう……うーん、なんかDVや毒親の構造っぽいな、これ。


 ともかく、「自分の目的を果たすためには、一緒に遊ぶプレイヤーのPCに対して、望んでいないのにその心や命を攻撃したり否定しなければならない」確定展開があるシナリオはあまり多く・続けて摂取しないほうがいいな、と自分が心からTRPGを楽しむために思った。実際、A路線だけでなくB路線のシナリオに対しても「あー、これ悲しんで苦しむことを期待されてますねー、ワンパタだなあ」「自分が死ねば丸く収まる話か、プレイヤー同士でモメて結論出ないのしんどいから、自キャラが自害でいいですわ」というような、なげやりプレイをしてしまいがち(避けがたい苦痛を愉しむのって疲れるから、こうなってしまう人はけっこう多いのでは)。


 潔く、全員が目標を達成できるルートが想定されてないサイフィクの「対立型」とか、「特殊型」のように全員が目標を達成できるルートが存在してもそれが達成困難に設定されてるものは、CoCでもプレイ前に可能性ありとか人を選ぶとかぼかさず、ハッキリ提示したほうがみんな幸せになれるんじゃないか、と思う。

 だがこういうシナリオを書くのはそもそも大なり小なり「プレイヤーを苦しめたい」と思っている作者がかなり多く、不意打ちであればあるほど苦しめられるので、ネタバレ回避という名目もあってなんやかんやぼかされてしまうんだな。


 少なくとも、わたし個人の感覚では、「クトゥルフ神話TRPG」のシナリオであるのに「探索者」―――基本ルールブックでいう"謎を解き明かし事件を解決する"者―――として活躍できないような設定や立ち回りを要求するシナリオは相当特殊なものだ。探索者に対して「謎を解き明かし事件を解決する」よりも優先される「個人的な目的/使命」を強制するようなものは特に。

 プレイヤーキャラクター同士の内ゲバが物語の主軸・山場に設定してあるとか、謎を解き明かした結果、ショッキングで手の施しようのない真実を知るだけで、事態を好転させることができず、ただ失意のうちに逃げ延びるだけ……という設定のシナリオは、プレイヤーが「探索者」を意識して遊ぶタイプだと、シナリオから期待されているプレイヤーのありかたと、プレイヤーがシナリオに期待する展開の激しいアンマッチを起こしてしまう。不幸なマッチング事故によるクレームを予防し、そういう路線を遊びたい!というプレイヤーを得るためにも、堂々と「プレイヤーに痛みや苦しみやショックを与える目的で作ったシナリオです」と言ってもいいんじゃ? 無理かなあ。


 

結論:わたしは約束された苦痛のための苦痛はあまり喜べないらしい。

   これはなんだ……ファッションマゾ……?


 ちなみに映画や小説のバッドエンドは平気なので、やはり「自分がプレイヤーキャラクターを演じ、その瞬間瞬間を自分の頭と心で考えながら物語を編む」「まだ決まっていない(と思っている)未来を好転させるために行動する」というのは非常に大きいんですね。TRPGがおそろしく面白いのも、一方でもやもやしたり難しく感じるのも、こういうとこだよなとしみじみ。


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