自作シナリオ以外でマスタリングできるTRPGシナリオをどこかにまとめておきたい……と思い立って『GM』ページを作成したのですが、整備にあたってCoCシナリオの「シティ形式」「クローズドサークル形式」について思いのほか考え込んでしまったという話。長くなったんでシティのほうをとりあえず。
近年の日本のTRPG界隈、特にCoCは、同人シナリオ頒布も動画や配信もさかんで、なんちゅう贅沢な環境か……と思いながら過ごしているのですが、自作でも世のシナリオでも、あれ、これは自分の感覚における「クローズドサークル」「(オープン)シティ」のいずれにも当てはまらないな……?とふんわり疑問を持ってまして。前述のページをまとめるときにそれが表面化した結果、「小規模シティ」「広域クローズド」と勝手に名前をつけてお茶を濁すことになりました。何かいい表現ないんですかねえ。
まず、自分には「街中を探索するからといってシティとは呼ばないものがある」という意識がある。
シナリオを読んだり書いたりしていて、「これシティ形式って銘打ってはあるけど"ぽくない"んだよなあ」という、違和感というか、自分の中の謎の選別基準がありまして。なんで?と思って反芻すると、わたしが思いつく「シティ形式」のシナリオ、特にああ、これぞシティ!と思うのは、プレイした中では『浅草十二階』『殺人リスト』『インスマスからの脱出』『ジャッカルの夜』あたり。逆に、シティと言われると違和感を覚えるのは、たとえば自作の『ヰ書』。タグをつけるとき、うーん一応シティ……か……?と思ってそう記載してはあるのですが、どうにも違う気がする。かといってクローズドサークルでもない(つまり、このふたつの名称だけだと作品傾向の全域をカバーできないんだろうな)。
シティと銘打たれているものをシティっぽくないと感じる理由の一つは、「要素が直列であること」。同人作品でもあえて「一本道のシティです」と書かれているものがあるけど、書き手の多くもそこに"シティっぽくなさ"を感じているんだろうなと思う。
基本的に、「探索」は要素から次の要素を掴んで渡っていくもので、どんなシナリオでも変わらない(噂Aから人物Bへ、人物Bから企業Cへ、みたいな流れ)。なので、これをもってシティ形式かどうかを区別することはたぶんない。でも、そのルート以外に取れる選択肢がない(噂Aを元に探索できる人物はBしか設定されていない、人物Bから出る手がかりは企業Cだけである)のは、確かに、"ぽくなさ"の一因だろうなと。ただ、実はこれだけが"シティっぽくなさ"の本質じゃないのでは?と途中で思ったんですよね。複数の情報が出てそれぞれに複数の線が生えるシナリオでも、「うわーシティシナリオ遊んでる~!」と自分が感じるかどうかにはバラツキがあるなと。
じゃあそれが何かというと、「情報から情報への到達手段の自由度」と「主要素間のあそびの有無」の2つ……あ、あそびというのは、動くモノ同士の接触面なんかの「あそびを持たせる(余裕・すきまを取って可動域を増やす)」の意味のあそびです。
手段の自由度と要素間のあそびについて、比較の具体例を作ってみると、
より一本道なつくりはこう。
噂Aを調査してほしいと言われ、その噂について知っているBさんを紹介される。
Bさんに事情を聞くと、企業Cのサクラとして、その噂を流すように言われているという。
Cのサクラバイト募集担当の電話番号をもらう。
Cの担当に会って話を聞く。担当ははぐらかすが、手帳を忘れていく。以下略。
よりシティっぽいのはこう。
噂Aを調査してほしいと言われる。場所1にたむろする若者のあいだではやっているらしい。
噂の内容は「場所2にキーワード3を書いた紙を埋めると願いが叶う」である。
今は日中なので設備や交通の制約はない。ただし、場所1は深夜が一番にぎわう。
~中略~
(場所1の若者に話を聞く/場所2を張り込む/キーワード3を検索したり調べる…)
噂を広めている人物Bを突き止めてうまく話を聞き出せば、
企業Cのサクラとして、その噂を流すように言われていることを教えてくれる。
一方、キーワード3は〇年前のとある陰惨な事件の現場に残されていた言葉らしい。
この事件の被害者は企業Cの当時の社長である。以下略。
自由度というのは、「次の重要情報にたどり着くための手段を、どの程度人間のマスタリング/プレイングに委ねるか」。探索の初手で、事情を知っている人物への接触手段がすぐ提示されたら、そこら辺の人に聞き込みするとか調べものとかは「できない」わけじゃなくても「やらない」。
そして「あそび」については、「重要な情報と情報のあいだをつなぐ探索のウェイトがどの程度か」という意味……うーん難しい、ろくろ回しちゃうな。具体的には、上の例は、A-B-Cの「あいだ」にほぼ行動が発生しない。AからBの情報が出て、BからはCの情報が出る。一方、下の例は、AからBに到達する「まで」の行動が存在する。噂Aについて調べてサクラバイトをやっているBを捕まえるまで、このすきまこそが探索の中心になっている(上だとAとBは直結なので、プレイヤーがBの口を割らせる交渉がメイン)。
ついでに下は、要素が並列的な印象もあると思う。場所2にくる人物たちは噂を信じているわけで、それが眉唾であることを知らない。だが、その効果が"実際にある"ということを知っている。キーワード3を調査すると、企業Cにもつながるが、事件という新たな要素が出てくる……といった具合に、あちこちに枝を伸ばす探索を想定しているつくりというか。
ちなみに手段については、シナリオ作者がある程度例を書くことは多いと思う。それをゲームマスターがどのように扱うか(選択肢の中から選ばせるとか、まずはプレイヤーから希望を聞いて悩むようなら提示するとか)に左右される面が強いかも。
とにかく、この、
・次の重要情報にたどり着くための手段をどの程度人間のマスタリング/プレイングに委ねるか
・重要な情報と情報のあいだをつなぐ探索のウェイトがどの程度重いか
の2つの点が、「人間に委ねる度合いが高く、情報をつなぐ探索が重要である」に傾くほど、シティらしい印象が増すんじゃないか……というのがわたしの見解。ただ単に「自由度が高いものがシティだ」と表現するよりは、多少なりとも具体的になっただろうか……。
逆に言えば、プレイヤーが躓かないように/マスタリング負荷を下げるために、シナリオを親切な設計にすればするほど、"シティっぽさ"からは遠ざかる。"ぽい"ものを提供するには、シナリオ作者が、重要な情報そのものをすぐに出さずに「あそび」部分を厚くしたうえ、ゲームマスターとプレイヤーに「手段」をある程度丸投げしなくてはならないわけで。しかも丸投げするといっても全然楽はできない。自然な発想や行動でたどり着けるように要素の関係性をしっかり詰める必要がある。手段に制約がない分、ここの完成度の要求レベルが跳ね上がるんですよね……。
でも、わたしはこの「あそび」の分厚さと「手段」の自由度がものすごく好きです。人間が進行するTRPGの良さが存分に味わえる。進行に流されているだけでは与えられる情報は少ないけれど、選択肢ボタンによって思考を限定されることもなく、プレイヤーとゲームマスターが自力で「こういうことを考えて、こういう行動をしたい」をゲーム内で実現することができ、それが新たな情報や求めた真相につながっていくことで、作中世界の人物やストーリー展開に生々しい実感と手ごたえを得る。特に時代物のスケールの大きなシティが好きというのはまさにこれで、手段が委任されていてかつあそび幅が大きいと「道が悪いんなら馬車のわだちを追跡できないか」とか「どこどこに電報一本打ってから出ます」「酒場で労働者に一杯奢って話聞こう」とかをあちこちの場面でやれる。それらから出る情報やできる行動が、ストーリー上の超重要な行動・情報ではなくても(むしろ、シナリオ進行のキーになる要素は提示手段にも内容にも安定性が求められるので卓に委任しすぎるわけにもいかない)、今自分がこの世界にいる!という気持ちを掻き立ててくれるなあと思うので。もちろんプレイもマスタリングも難易度は高くなるけれど、自分が卓にハマったのはこの要素が強いものに触れたおかげなので、ちょっと慣れてきたという人はぜひこのテのシティシナリオを遊んでほしい。
とまあ、クラシックなオープンシティシナリオをダイマしたところで、「手段は限られていてあそび幅も少なめ、でも別に閉鎖空間に閉じ込められているわけでもないし……」というのをどういえばいいんだ?という本来の疑問に戻ってくるわけですが、ぶっちゃけいい案が出なかった。すみません。あそび幅は少なめだけど要素自体は並列配置が多め(インセインなんかはシステム自体がこれだと思う)とかもありうるので、とりあえず"小規模シティ"と呼んでるけど、別に範囲の狭い/広いじゃないんだよなあ……。
これとは別のところで悩んだ「クローズドサークル」についても、また気が向いたらまとめます。
あと、「クラシック」と「そうでない」もの(これの名称もない?モダン?)の違いというか定義も気になりますね……。自作は多分クラシックと呼ばれる系統だけど、何をもってそう定義してるのか自分でもわからなくてめちゃくちゃ気持ち悪い。せめて自分の中でくらいは「こう」って基準が欲しい。ぐぬ。