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驟雨

海外のシナリオレビューを斜め読みしてきた

更新日:2023年2月28日



 先日話題になったDicechoさんについて。


 この件に関する話題には、この界隈のいろいろと難しいところ、センシティブなところが詰まっていて、とても興味深かったので野次馬に行きました。ところで「海外」という表現、日本が島国であることを端的に表していて、いつ見ても不思議な気分になりますね。



 

・同人とは何か

 公式ルールブックや各国のサプリメントに載っているシナリオも、趣味で書かれた同人シナリオも同じ土俵に載せられ、レビューや評価をされる仕様は、効率や有用性は高いのでしょうが、少々気になるところです。

 そもそも"同人(同じ趣味を持つ仲間)"という文化には、自分が愉しむために作品を書いたものを、同好の士に向けて頒布している、という大前提がある。ゆえに、「嫌いなら近づくな」「手に取っても気に入らなかったら not for me だったのだと思え、外野の批判は不要だ」という意識があります。まあ、これが本当に守れるコミュニティは多くないのですが。ゆえに、今回対象となったTRPG同人シナリオライターからは、「批評家気取りか」「余計なお世話で腹が立つ」「ショックで作品を公開したくなくなった」という意見もみかけました。

 実際、素人の趣味のアウトプットに対し、匿名の素人が評価をするのは、"個人の好み"と"客観的な批評"の線引きが難しいため、慎重な姿勢を保っておく必要はあると思います。当事者が希望していないのに他者・他作品との比較評価をするのもまた、創作の最初の芽を枯らしかねません。自分が趣味で絵や漫画を描いて、創作系コミュニティ(批評を得る目的のプラットフォームではない)に投稿したら批評用の場所に引用されて「陳腐で面白くない」「デッサンが狂ってる」と言われても、向上心持ってます!切磋琢磨したいです!という主体的な意志がなければ、ただただ落ち込んだり荒れるだけになるだろうと思います。趣味の創作で、批評を元に改善を重ねてよいものを作ろうとするのは個人的にとても好きな姿勢ですが、すべてのはじまりである"何かを作りあげ、喜んでくれる誰かに見せる楽しみ"が破壊されてはいけない、とも感じます。

 子どもが自分の描いた絵を友達や家族に見せたがるのも、スキルアップを目指す趣味創作者が自分の作品を添削・批評を求めて投稿するのも、どちらの動機もスタンスもうまく共存できる「同人」であってほしいところです。


追記:

このあたり、わたしのシナリオ頒布方針が完全に無償であるという点も大きいかもしれません。

対価を取るならそれなりのクオリティを目指すべきでは……というのも定期的に話題になっていて、これは感覚としては理解できます。ただ、購入する側としても、頒布物が「趣味で制作されたアマチュア作品」だと明確にわかっている=品質は保証されないと認識できる、かつ、購入するかしないかは完全に個人の判断に任されています。しかも、公式シナリオ集や専門雑誌、最近ではシナリオコンクール等もあって、いわば、メーカー品を買える環境です。そこをあえて手作りバザーを訪れてものを買っているのだ、ということは、自覚しておく必要があります。



 一方、これが小説でも絵でも音楽でもなく「TRPGのゲームのシナリオ」であるために、こういったレビューや評価を行うことを単純に非難することもできないな……という実感もあります。なぜなら、シナリオは「作品が受け手個々人に直接届く」のではなく、「GMがPLたちに提供する」ものだから。

 小説や漫画なら、「読んだけどつまらなかった」という感覚は個人で完結します。わたしが「not for me」な作品に触れただけであって、それ以上でも以下でもない。けれどTRPGは、生身の人間が、遊ぶ人たちにとっての物語の基盤になる、いわば面白さの責任を負う世界です。なので、ゲームマスターとしては「自分以外の様々な人々の感覚ではこのシナリオはどう読まれているのか」「プレイヤー側としてこのシナリオを経験したときにどう感じたか」という目安、「not for them」「not for us」の指標が欲しいという面があるだろうなと。シナリオ作者に感想や批判が伝わるかどうかは副次的な話であって、プレイヤー(他者)をその箱庭で遊ばせるにあたって、より客観的・有用な情報を入手したいという目的が明確にある。

 更に、日本のCoC界隈は同人シナリオの頒布数が非常に多く、「片っ端から読んで面白そうなものを探す」が間に合わない反面、「注目度/人気を目安に作品をソートできる」という強みがすでに生まれてしまっている。ここがクセモノで、頒布元の国・地域のプレイヤーコミュニティにおいての人気や流行と、自分たちの所属するコミュニティの評価軸が一致していないからこそ、レビューや評価が余計に欲しくなるのかなと。頒布元の文化圏での人気がそのまま自分たちの欲しいものの目安になるのであれば、レビューも評価もなくたって大して困らない。推測ですが、今回の(主に)中国と日本では、このギャップがものすごく大きかったので、良くも悪くも話題にもなったんだろうと思っています。


 白雨堂はわりと好評をいただいた方で、純粋に「ああ、海の向こうに自作を面白いと思ってくれる人が大勢いるのか! 嬉しいな」と思いました。ただ、それはそれとして、やっぱり「TRPGのゲームマスターやプレイヤーが生身の人間であるように、シナリオライターもまた生身の人間であること」「有志のライターはただ、自分の好きなものを、自分と同じものが好きな人のために公開していること」を心にとどめておく必要はあるかな、と思います。

 出版社から販売されているものと違って、同人シナリオは「プロでもない個人」が、「作品の校正を頼める部署もない、テストプレイもフィードバックも自分のツテやカネで頼まなければならない環境」で、「自分のプライベートな時間を費やして」「きっと自分と似た趣味の人が喜んでくれるという期待を支えに」書きあげたものです。レビューをされる人は、自分がプライベートでシナリオを書いて提供する側の人間だったらどう感じるだろう?という想像力を忘れずにいてほしいなあ、と思ったりしました。「ただの消費者」として振る舞うのと「同人(同好の士)のひとり」として振る舞うのとは、やはり印象が違ってくるはずなので。


 

・拙作のレビューたち


 ということで他の作者さんのレビューはあえて読まなかったのですが、自作についたコメントを自ら読む分にはまあ、いいかな。ということで、機械翻訳を頼りに、軽く目を通してみました。


 このレビュー者たちの傾向を見事に踏襲しているのが、一番評価が低かった『唯言』のコメント。


「白雨堂も日本人だったか……」(意訳) ←今まで何だと思ってたんだ?

「おお……白雨堂よ……(首を振る)」(意訳) ←ジェスチャーは草

「作者が苦手な傾向のやつ書いてる」(意訳) ←バレてら!


 『おまえも日本人だったか』に籠められた悲嘆、切実なのかもしれませんが笑っちゃう。そりゃあ、需要があれば供給したくなりますからね。レビューに参加した人たちも、日本のコミュニティで人気・需要がある傾向はよく知っているはず。アマチュアの創作者にとって、自分の作品に思い入れを持ち、続編を望んでくれるゲームマスターやプレイヤーがすぐそこに見えているというのは、拒否しがたい魅力であり原動力です。正直なところ、わたし自身、あの作品が純粋に単体のシナリオとしては無理がある・蛇足だと思っている面はあります。なんたって、続編など考えてもなかった作品から、"物語の先"を期待してくれる人にどうにか応えようと、無理やり生やした蛇の足なので。シナリオ概要にある通り、「ヰ書のNPCに思い入れを持ってくれたプレイヤーにお礼として作者が渡せる"おまけ"」。そもそもそういった楽しみ方をしない人には「not for you」な一作です。たとえ蛇足だろうが何だろうが構わない、という人のためにだけ、あの作品はあります。

 それにしても、「得意じゃないものを無理やり書いた」的なことを言われていたのは笑いました。ええまあ、その通りですね!


 意外だったのは『怪談會-kwaidankwai-』が一番好評だったこと。一本道で短く、難易度も易しく、探索の成功と生還に全力投球するという方面では歯ごたえはあまりないので。が、これはレビューを読んでみて、なるほどなと。シナリオがどうこう以前に、「プレイヤー/プレイヤーキャラクターも百物語に参加し、怪談を語る」場面をかなり楽しんでいただいている様子。シナリオ作者の手柄ではなく、当時の流行の遊びが現代にも通じる面白いものだったということでしょう。短いのが惜しいという意見もありましたが、一方で、オフラインセッションで実際に集まり、蝋燭を片手にプレイしたというコメントもあって、一夜サイズだからこそできることを存分にやっていただいている方もいらっしゃるもよう。作者の「旅館で酒でも呑みながら、手元に灯を置いて遊んでほしい」という一文に籠めた方向性をしっかり再現してくれていて、嬉しい限りです。

 それともうひとつ、時代や国が違う作品は、まさにその国や時代を意識できるものがやっぱり楽しいんですよね。私はルールブックに収録されている「死者のストンプ」が好きなんですが、まさにあの時代、あの国、あの街をイメージしながら遊べるのが愉しい。探索者となって禁酒法時代のニューヨークでジャズを聴くなんて、それだけでワクワクするな、という。それと同じ感覚を、別文化だからこそ余計に楽しんでもらえたのかなと思います。どうせ他国のシナリオをやるなら、アメリカでも日本でも中国でもさして変わり映えしない現代的な都市で探索するより、イメージが"いかにも"な作品の方が、ミーハー心を満足させてくれるというもの。


 ところで、レビュー内容や評価点というのは(サクラ云々を脇に置けば)おおむね辛くつけられる傾向にあると思います。まさにレビュー内に似たようなコメントがあったのですが、人間、褒めるためだけにコメントをつけることはあまりしないのではないかと。特に不満を感じない作品に対して何かコメントをするのと、何か不満があってコメントをするのでは、圧倒的に後者の動機が強い。不満がある、つまり「モノ申したい」という原動力がレビューを書かせる。そんな中、ただ「この作品、よかったよ」とだけ言うためにコメントをつけてくれている人が複数いらっしゃったのは、とても心強く思いました。作者本人がコメントを読むことは想定されていないのだと思いますが、前半で言った通り、有志のシナリオライターは有志である時点で、批判にはとても弱いし、楽しんでほしいという気持ちが原動力になることが多い。一方、レビュー・批評はその性質上、欠点や不満に対するもののほうに焦点が当たってしまう。単純に相性が良くないんですよね。そんな環境で、ライターと面識もなく、お世辞や気遣いで褒めなくてもいい人が一人でも「面白いよ」と発信してくれているなら、それは100の批判の言葉よりも大事にしてよい一言ではないかと思います。とはいえ、1000の好評を得ていてもたった1つの低評価のほうに心が揺らぐのが人間であると、創作を長年の趣味にしているわたし自身、身をもって知ってはいるのですが……苦笑


 そうそう、シナリオのできばえなどにはあまり関係がないのですが、個人的に嬉しかったのはこのコメント。

「シナリオ本文を機械翻訳にブチこめば、ほぼそのまま読める」(意訳)

 いやあ、これは嬉しい。機械翻訳でもだいたい読めるというのは、つまり原文の精度がそれなりに高く、読み手が自力で修正したり補完をする手間をさほど必要としない"整った文章"であるということ。頑張った甲斐がありますね。とはいえ、公開済作品を自分でプレイしてもちょいちょい「アッ……文法崩壊しとる……」となるので、慢心してはいけませんが。


 ざっと目を通した限り、現在公開されている拙作については、批判はロジックやリアリティ、シナリオ構造の面が中心、誹謗中傷という印象ではなく、レビュー者がその人の重視する要素に基づいて意見を述べている様子で、何というか一安心しました。とはいえ、厳しい指摘や的確な意見があっても、それを取り入れて大幅改稿する気力はさすがにないので、大筋が変わることはないと思います。また、厳しいコメントにショックを受けたという理由で作品を取り下げることはまずありませんので、ご安心を。そもそも、創作とは0から1を生み出す行為です。1が100でないからダメだと言われても、それとこれとは次元が違うものだと思います。

 なお、白雨堂のシナリオについては、作者は改変を否定しない(むしろ、やりやすいように手を入れるのはマスタリング作業のうちのひとつ)という方針なので、気になる点があれば各自調整していただければと。


 それにしても、白雨堂を"CoCにおけるジャパニーズ・ホラー作品のひとつのベンチマークだ"と称するコメントをいただいていたことにはびっくりしました(実際はそこまでの完成度ではないとは思いますが)。その方にとっての「こういうシナリオをプレイしたい」という理想とうまく合致し、プレイヤーとライターの趣味がしっかり手を取り合えたのだろうと思うと、喜ばしい限りです。



 ところで、このレビューサイト、デルタグリーンのシナリオがたくさん載っていてものすごく羨ましい。全体的に、国外のシナリオをガンガン翻訳し、積極的にプレイするこの意欲、本当にすごい……と思ったのでした。もしかして、日本のCoC界隈と比べて「シナリオ書きの人口」と「プレイヤーの人口」のギャップが大きいのかな?



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